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署名記事において筆者が負っている責任とそのスタンス

個人やメディアによるオンライン記事にしばしば見られる,「技術的な説明」が仮に間違っていてもそのこと自体では読者に損害も起きないし,筆者にペナルティがあるわけでもないというスタンスについて.

■■ 注意 ■■
  • この記事を読んで行なった行為によって、生じた損害は筆者、PC Watch編集部および、メーカー、購入したショップは、その責を負いません。自己の責任の範囲内にてお取り扱いください。
  • インストールや動作に関する記述は筆者が使用した個体に関してのものであり、すべての製品について共通であるとは限りません
  • 筆者およびPC Watch編集部は、この記事についての個別のご質問・お問い合わせにお答えすることはできません。

こういう注意書きが意図しているのは,OS 設定の変更やソフトウェアの導入といった行為をユーザーが行った結果に対して予防線を張っているのであって,例えば筆者が書いている「そのデータをHDDに書き戻して書き込み前のデータと比較して全く違いがなかったことから、問題ないと結論づけていいだろう。」という記述が仮に間違っていても*1,そして読者がそれを信じて周囲に広めても,「世の中に損害は起きていない」し,「誰が言ったかも問われない」雰囲気なのかな,と.
通常アカデミックな世界では,ある人の業績とその名前による信用度は結びついています.もちろん建前として論文の内容の正当性は独立に評価されることになっていますが,間違っている論文を書くことにはそれなりにリスクがありますし,事実間違っていることが分かった場合は説明責任が求められることもあります.
この PC Watch 記事のようなユーザ視点の記事は,ユーザのニーズや印象をくみ上げる点ではとても重要です.そういう記事の存在に何ら問題はありません.ただ,文章の体裁を整えるために,「これは〜という理由からだろう」とか「〜と考えられる」という理由付けや背景の推測をするときは,その推測にかけている意気込みを最低限でもいいから示して欲しいなとも思うわけです.少なくとも署名記事であれば.
アカデミックな世界では,そこに研究者の人生やプライドが賭けられているのが暗黙の前提になっていて,筆者の主張は単なるつぶやきや雑談ではないものとして取り扱われます.
じゃあこの手のオンライン記事でどうやって意気込みを示すかというと,例えばこんなのはどうかなと.
まず筆者は馬券を買う感じで自分のスタンスを示します.「A である可能性を 7 枚買って,B である可能性を 2 枚買って,その他は 1 枚」みたいに.同じ名前で記事を書き続けると,一定のパフォーマンスが見えてくるでしょう.これなら,常に「その他に 9 枚賭ける」ことでネタっぽさを示すみたいなのも有りですし.
読者はそれを利用して株式市場っぽいことを行います.特定記事のこの部分の記述が合っているか,筆者の過去のパフォーマンスから予想してみれ,とか.



ニュースや事件に対して,多くの人が blog やブックマークコメントを通じて意見表明を行っていて,はてブ等を通じてその全体情報が個人にフィードバックされるようになってきました.「みんなが思っていること」を知りやすい世の中になってきたと言えます.
一方で,「真に正しい情報を検索エンジンを使ってどう見つけ出すか」という問題が全然解決していないように見えるんですよね.「書き手も読み手もネタとして楽しんでいる」というページ(山のようにある)と「本当に正しいことが書いてある」中の人のページ (激しくレア) の機械判定とか本当にできるのかと.肩の力を抜いて書いている記事というのは,読めばまあだいたい分かるのですが,じゃあ検索エンジンに書き手の意気込みみたいなのって分かるのかなとか.
とかなんとか,先日某社に勤めている先輩にお酒飲みながらこの手の話をしたのですが,「弊社も色々やってますよぅ」と言われたので,そのうち「もしかして本当は」機能みたいなのが付くのかもしれません.


あ,私の書いている本記事自体は「その他 9 枚」でお願いします.最近興味を持ち始めたぐらいで,まだ名前を書けて言える域じゃないっす.ぜんぜん.


一言でいえば,「○○社はもう駄目だ」と断定的に書いているライターが○○社の株価で儲けているかどうか/儲けられるかどうか,読者として知りたくない? みたいな.

*1:この記述が本当に間違っていると主張している訳ではないので注意