みんながみんな○○したいわけではない

  • 「ハッカーになるにはどうすればよいか?」
  • 「プログラムから冗長さを減らすにはどうすればよいか?」
  • 「人より何倍も高い生産性を示すにはどうすればよいか?」
  • 「多くの人に読まれる文章を書くにはどうすればよいか?」

こういうテーマに対して,次のようなテーマをぶつけるのはもはや機械的できそうだ.

  • 「みんながみんな,ハッカーになりたいわけではない」
  • 「みんながみんな,プログラムからを冗長さを減らしたいわけではない」
  • 「みんながみんな,人より何倍も高い生産性を示したいわけではない」
  • 「みんながみんな,多くの人に読まれる文章を書きたいわけではない」

平凡に対する非凡を語る場面で,平凡ってのは多数派の同義語*1.「みんながみんな」と言いつつ非凡を望まない派の方が圧倒的な多数派なんですよな.
まあ実際は,同じテーマで同じ人でも,非凡でありたいと平凡でいいじゃんを場面によって使い分けているんだろうけど,その比率はやっぱり似たものになりそうだ.
普段の自分に対して非凡でいられる時間は一日の中でどれぐらい作れるか? 果たしてそれを何に使うべきか?

*1:これが成り立たないような変な統計分布はどんな場合に見られるだろうか?