the Crowds との対話チャネル

Why done it?

id:kwatch 氏は Java における "the Crowds" と対話したい (んだけど適切なチャネルが見つからない) のではなかろうか.とか『主題と関係ない内容 - kwatchの日記』を読んで思ったり.

ネタばらし

最近思うところあって『「みんなの意見」は案外正しい』を読みました.今更ながらですが.
なのでそれ絡みの話を書きたくてうずうずしていて,まあ書くよ.みたいな.

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

「○○○○さまは“居る”の!」

実感ベースで話をしたら悪いんですか? 自分がよく知っているサンプル30人程度じゃ少なすぎますか? 自分が知らない人間100人よりも、自分がよく知っている約30人のほうがサンプルとしてずっと信頼できると思いますけど、それでもサンプルの絶対数のほうが重要ですか? サンプルはSUNとIBMOracle富士通(とたぶん富士通の孫請け)ですけど、これだと偏ってますか? なにをもって偏ってないと判断したらいいんですか? 偏ってるのは "お友達" の多いみずしまさんのほうじゃないですか?

こちらのサンプルを否定するだけの「根拠」を示してください。



「みんなの意見」は案外正しい』には群衆が正解を導くこともあれば集団的機能不全に陥ることもあると紹介されています.両方あるし,性質も独特と.
んで,id:kwatch 氏が見たのはまさにプログラミング言語利用者における独特の性質を持った群衆なんじゃなかろうか,と思うわけです.つまり id:kwatch 氏のエントリの目的が,「群衆的性質を持った集団の存在を第三者に認知してもらうこと」であり,「その群衆の行動が一律に愚かであることを第三者に認知してもらうこと」であり,「可能ならその群衆的存在と自らコンタクトを取りその群衆の思考構造を理解できるか試してみたい」という感じのところであれば,まあ筋は通るかなと.えーと,「未知との遭遇,がんばるっ!」みたいな.
群衆とはすなわち個の喪失であり 30 人が 31 人になっても変わらないよなわけで,30 人がそういう性質を持った群衆を形成できるなら,それが 300 人になっても 3000 人になっても同等の形質を持っているという主張はありえるかな,と.その意味では 30 人でもサンプルとしては十分なのではないでしょうか.んで,id:kwatch 氏との対話を試みる人にとってもまさにそこがキーであって,そういう群衆の存在自体をまず認めるかどうか,そしてとりあえず適当な名前が思い付かないその群衆に「Java 屋」とか「Java 信者」という名称を与えることに同意するかどうかが,id:kwatch 氏との対話チャネルを開くカギになっているんじゃなかろうか.とかなんとか.

B 型人間は多分居る

B 型人間は多分居る.
ただし B 型人間という存在とコンタクトしようとするのは宇宙人とコンタクトしようとするものだ.

私は血液型占いにそれほど興味はなく,実際に定義を調べてみたこともないのですが,周囲との会話 (それこそ物理学の博士号持ちにもこういう話題が大好きな人はいます) から,そこで意図されている性格気質のことはおぼろげながら推測できます.
そんな断片的な情報のみからの判断ですが,B 型人間というのは確かに“居る”のでしょう.だってそれ,人間を適当に集めてきて,おおざっぱに分類したら確実にその何割かは当てはまりそうな性質ばっかりですもん.血液型が B 型の人に,そういう形質を持った人が全く居ないと主張するのはそれこそ非合理的です.そりゃあ“居る”でしょう.
問題は,“居る”と分かったその存在に,コンタクトを取る手段があるかと言うことです.
テレビのニュースでも,新聞の人捜し欄 (そんなのあるの?) でも,求人広告でも,Blog でも何でもいいのですが,「B 型人間に告ぐ」とでも書けば「B 型人間」とコンタクトが取れるでしょうか?

いまはまだその域に達していない

これは .NET な世界での話なのですが,昨年末に「C# 3.0 における var 利用の是非」みたいな議論*1があって,わたしゃあのときに群衆を垣間見ましたよ.
えーとですね.そのときの議論でも各自「賛成」「反対」(あと「中立」) みたいな立場を表明しているのですが,困ったことに反対陣営の個々人と話していると,相手の主張が微妙に違っていて,すさまじく枝分かれした議論をしなきゃならんのですよ.同様に同じ派閥でも各自の主張の詳細に突き合わせてみるとこれが微妙に異なっているとか.議論を個人に絞って細分化すればするほど,本来話したい相手である「賛成派」とか「反対派」みたいな群衆的性質が消えていって,たとえば派閥の違うこの2人,同じことを言ってない? みたいなのがどんどん出てくる.でも群衆的に見ればやっぱり「賛成派」とか「反対派」みたいな存在は“居る”.なんじゃこれ,みたいな.
思えば,あの頃から「いまはまだ個人と群衆は対話できない」みたいな漠然とした印象があって,以降その思いは強くなるばかりです.
一方で,少なくとも Google の Crawl した巨大なアーカイブの中に「B 型人間」はもう“居る”でしょう.だから将来的にはコンタクトが取れる時代もくるかもしれません.ただ,いまはまだ,完全にはその域に達していないんじゃなかろうかと.

*1:例えば[http://www.ailight.jp/blog/ishino/archive/2007/12/28/14363.aspx:title=石野さんのまとめ]