チープな意味でのパブコメジェネレータが欲しい

昨日、東京三菱UFJ銀行のシステム統合に絡む障害が発生し、セブン銀行(セブンイレブンのATM等)から東京三菱UFJ銀行への入出金、残高確認が一切行えなくなりました。

ITmediaの記事に拠れば、原因は「三菱東京UFJ銀行セブン銀行の間でデータの受け渡しがカタカナではなく漢字であった」からだそうです。

三菱東京UFJ銀行のキャッシュカードがセブン銀行のATMで使えなくなるシステム障害が5月12日に発生した。三菱東京UFJ銀行によると原因は「カタカナで転送すべきデータを漢字で処理していたから」であった。

この件に関するmixiや世の中のブログを見回してみると、多くの人が「銀行のシステム統合だから仕方ないよね」という論調で語っているように思えました。しかし、それって本当に正常な感覚なのでしょうか?

重要な社会インフラを担うシステムというのは、たった数秒の停止でも大変な影響を社会に及ぼします。 ATMというのもまさにその一つであり、今回、朝9時から11時55分頃まで復旧できなかったために、2万件以上の取引(預金・引き出し・自動振替等)が成立しなかったことが明らかになっています。

これが鉄道の管制システムであれば、たった数分間システムが止まっただけで、衝突によって多くの人命を失うという事態も十分起こり得えます。これはあってはならないことであり、だからこそ、些細なミスも見逃さないような鉄道各社は手厚い体制を敷いているのです。

これはIT業界にも十分当てはまることだと思います。ここ数年、コスト削減の名の下にあらゆるIT投資の贅肉が削られて様々な問題を誘発しているように私は感じています。万全の体制というのは、全体最適の観点からすれば、どうしてもムダがあるように見えてしまうわけですが、実はそのムダな部分が安全・安定というものを支えている存在なのではないでしょうか。

あなたの目の前に、幅10メートルで両端がガケになっている一本道があるとします。あなたの幅は0.5メートルもありませんから、きっと全力で走り抜けることができるでしょう。

しかし、その道幅を体の幅と同じ0.5メートルまで狭めたらどうなりますか? 全力で走った場合、ちょっとバランスを崩しただけでガケに転落してしまうかもしれません。

今回の三菱東京UFJ銀行のシステム統合は、最盛期の開発要員6000人、開発工数11万人月、投資額2500億円にも及ぶ壮大なプロジェクトでした。それこそ、みずほ銀行の前例を反面教師として、絶対に失敗できない状況にあったものと推察します。

しかし、最も容易な部類に入る今回の(旧)東京三菱系→(新)東京三菱UFJへのシステム統合で、電文文字列の内容が異なっていたという基本的な見落としが発覚した今となっては、そもそものテスト品質の甘さを追及されてもムリからぬこと。 テスト工程(誤字を修正:肯定)のスペシャリストが全てレビューしていたらなら、多分今回の障害は未然に防げた、もしくは短時間で解決できたと思います。

オルタナブロガーの谷さんが「テストが甘いのよ」で指摘している、「不具合は絶対にある、という感覚でテストをすること」という姿勢で臨む人材を揃えることは本当に重要なことです。ただし、そういった人材をテスト工程で大量に投入してしまうとコストもかかるし、リソースが限られているなら開発部分が手薄になる可能性もあります。

プロジェクトメンバーのスキル偏差が気になった事件でした。

という感じの,なんというかチープな意味での「パブリックコメントめいた文章」を作るのに,実は専門性とか長年の実務経験は要らないんじゃないか,と思う今日この頃.というか Google がため込んでいる文章データを使えば,もうだいぶ自動化できちゃんじゃないかなぁ? 失敗を責めるときに人命に関わるシステムの例を挙げたり,「基本的なミス」が見つかったときの論調が半ばテンプレート化していたりと,こんなに縮退してるならもうマウスクリックでアンケートに答えるだけで文章が出てきて,ちょっとアレンジしたらそれでいいじゃん的な.
逆に,専門家ぽさをだすのであれば,

  • 「しかし、それって本当に正常な感覚なのでしょうか?」→
    • 事前に様々な事件のケースを予想しておき,それぞれのケースに対して特定コミュニティでの反応を完全に予測してみせる
    • できるかな?
  • 「これが鉄道の管制システムであれば」→
    • 一般の人は普通知らないが,なるほどと言わせる過去の事例のひとつも挙げてみる
  • 「実はそのムダな部分が安全・安定というものを支えている存在なのではないでしょうか。」→
    • データがあるなら出す.無いなら最初から書かない.
  • 「あなたの目の前に、幅10メートルで両端がガケになっている一本道があるとします。」→
    • たとえ話が必要なぐらい複雑な話なら最初から書かない.
  • 「テスト工程(誤字を修正:肯定)のスペシャリストが全てレビューしていたらなら、多分今回の障害は未然に防げた、もしくは短時間で解決できたと思います。」→
    • その考察の正しさに賭けていることを示してみる.賭けられないなら最初から書かない.
    • 「我が社はこのようなケースに対応できるよう,テスト工程のスペシャリストが全てレビューしていた場合の損害を補償する保険を用意しています」とか
  • 「プロジェクトメンバーのスキル偏差が気になった事件でした。」→
    • これも情報を持っているなら出す.出せないなら書かない.

とかなんとか.私はこの辺が「誰でも書けるか否か」の境目だと思っています.逆に「誰でも書ける文章」は「誰でも書ける」が故に,いっそのこと自動生成できるようになってしまえばいいのにとも.実際時にはそういう文章を書く必要もありますし.
ジェネレータの逆として,Web 上の文章の「(チープな意味での) パブリックコメント度」を測定するというアプローチもあり得ます (degenerator !).
そのうち,「(チープな意味での) パブリックコメント度」が高い文章は,「群衆的性質の強い意見」として対群衆的にアプローチし,名著と呼ばれるような書籍や Joel のように区別される blogger の文章は個別に取り上げて対人的に考察される.そんな時代が来るのかな,と漠然と思っています.
世界政府まで何マイル?



というデータも何もないチープな意見を書いてみたい日もあるということですよね! わかります.