人類はハッシュドビーフの海に溶けて消えた
面白さ
今日の会話 :
この三行が全てを物語っているように感じる。
違い
「文字列 -> 診断結果」の類はその人気からして、多くの人にとって「面白い」わけですが、私には単なるハッシュというか、単純な写像にしか見えない。なんというか、無根拠すぎて面白くないし、「私には関係ないな」と思ってしまう。一方、私の与太話に付き合ってくれた jonathans は「近似アルゴリズム」を「つまらない」「無関係」と感じる。私にはそれは面白そうに見えるし、実際最初の数ページを読んだだけでワクワクしてきた。
この差こそが、先日のエントリーが炎上し、また他人と話の合わない根本的な原因ではないのかと。この差はなんなのだろう。普通の人が言語処理系を「作りたくない」と思うのと同じぐらい、「脳内メーカー」のようなちょっとしたお遊び的なアプリを「作りたくない」と感じる。これは言語処理系を作ろうと考え始める前、いやプログラミングを始める前からそうだった。どっちがいい悪いは置いておくとして、この差は一体どこで付いたのか。少なくとも中学に入った頃にはこのような考えをしていたわけで、何か重大な環境や経験の差がそこらへんにあるはずなのだが、どうにも思い浮かばない。
この前どこかで「私は孤独だ」と書いた気がするけれど、それはここらへんの差に起因するのでしょう。私以外の大多数の人々と、無意識下のレベルで反応が正反対だから、たとえ輪の中心にいたとしても孤独だと思うのだろう。つまり、「面白さ」を滅多に共有することが出来ない。中学か高校時代にこのことに気づいていればなぁ……と思う。そうしたら、その「孤独な感覚」を受け入れられたろうに。
あー
ああいうのが「単なるハッシュ」,「単なる写像」に見えるというのはすごく共感できるかも.そのプロセス自体は全然「面白くない」.同意同意ですな.
ただ,これは元のエントリに書かれていないので同じかどうか分からないのですが,私は最近,とあるハッシュ関数の使い道が気になって仕方がないんですよ.それこそ「面白そう」で仕方がない.
それは何かというと,サラダボールに山盛りされた人類を色々なハッシュ関数に突っ込んで Hash してみること.死ぬまでに 100 万回ぐらいでいいので.あー O'Reilly から『人類 Hacks』が出るまで死ねないな,みたいな.
ここのところ病状が進んで色々なものがハッシュ値に見えるようになりました.うちの日記にとりあげた記事にしても,
- 「典型的な Java 屋」とかそういう表現,さらにその周辺の議論をみて
- あーハッシュ値が並んでる → ひとこと書いてみるか
- 『ビビリな若者たちよ!! 実名ブログで自分を「見える化」する勇気を!!』へのブックマークコメントや反応を見て
- あーハッシュ値が並んでる → ひとこと書いてみるか
- 『Vistaが「遅い」と感じませんか?』へのブックマークコメントや反応を見て
- あーハッシュ値が並んでる → ひとこと書いてみるか
個人個人はみんな個性溢れる人なはずなのに,こういったフィルタを通して彼らの行動を見てみると,個が消えてパーセントの世界へ.まるで成分解析を見ているかのよう.視点を変えれば私も同じ.彼らのひとりひとりから見れば,私は名も無きひとりとしてどれかの成分の 0.001 % かそこらに絶賛貢献中.
血液型占いも,今日の射手座の運勢も,選挙権の行使も,消費税増税賛成反対も,マクロに人類をぶった切るハッシュにしか見えない.
みかたを変えれば成分解析というただのハッシュ関数そのものが,それを面白いという人たちと面白くないという人たちのハッシュ関数になっている.「OK 俺のハッシュ値も『成分分析ってただのハッシュだよな』だぜ.同じだな.じゃあ次のケースでのハッシュ値を比べてみようか……」
もし仮に,仮にですよ? 100 個のよく訓練されたハッシュ関数に対して,自分と同じハッシュ値を返す人間の集団が見つかって,じゃあ 1,000 個のハッシュ関数に対してもどうだろうと比べてみたところその人数が大して減ってないのが分かって,どきどきしながら 10,000 個でも 100,000 個でも同じだったりしたら……えーと……「代わりに来週選挙行っておいてもらえますかね?」……「あ,このレポートもお願いします」……「すみません,日記も代わりに書いて頂けますか?」
人類の根源をえぐるようなハッシュ関数群がライブラリとして完備されているプログラミング環境がひとつ欲しい.この世に切れぬモノはなし.
追記: Don't Repeat Ourselves
DRY 原則から DRO 原則へ.
ハッカーの大好きな DRY 原則をこの分野に適用すると何が起きるか,勘がいい人はうすうす気付き始めているんじゃなかろうか*1.ある分野についてハッシュ値のコリジョンした私とあなた(たち),同一分野に関するある判断をすでにあなた(たち)が終えているなら,同じ判断を私も繰り返す必要はあるのだろうか? 私がそのクラスタから外れたタイミングさえアラートしてもらえるなら,その分野に関してクラスタの判断と私の判断は同一視されていいですよ?
日常の雑多なハッシュハッシュした判断はみんなで分業して,空いた時間に私は今の私にしかできないことをやろう.あーそうか.もう孤独に感じられる部分にしか「私」は居られないということか.
*1:Don't Repeat Ourselves やはりみんな似たこと考えるんですなぁ